創作

【小説に枠などない!!】イシューから、小説を再解釈してみました

どうも、ブレイクスルー大好き系、書い人(かいと)です。

今回は作家や小説に枠などない、という話を真剣(クソ真面目)に書いてみました。

最近は調子が良く、1日の平均で500字前後ではありますが、小説執筆ができています。

小説に枠などない!!

特にライトノベルの定義とか、定義付けの話はよくある雑談程度でしょう。

仮に、ラノベ作家をラーメン屋に置き換えると、

ラーメン屋というのは飲食店ですから、本質的には「より多くのお客様に、より美味しいものを(相応の対価を受け取った上で)提供する」ということが重要なはずでしょう。

ラーメン屋が、ラーメンの定義とは? と考える意義は、ぶっちゃけ存在しないか、思考実験程度です。

「ラーメンに枠などない!!」(どっかのラーメン店主、というか『ラーメン発見伝10巻』より引用しました)ということになりますね。

(ラーメン屋のたとえ話は、終了)

枠の話を続けます。

実際の小説というものには、学校のテストのように上限値はありません(せいぜい、人類の人口が上限足りうるか? と言った程度でしょうね)。

小説ではありませんが、世界一売れた本である『聖書』は、新・旧合わせ、数千年も前から100億部前後の発行部数となっています(これからも増えていくことでしょう)。

わかりやすい例を出すならば、

みんなが100点満点のテストで80点、90点、100点などを取ろうと努力している中で(発想の違う天才は)、文部科学省と連絡を取りあって『点数の上限を撤廃するか、1万点ぐらいにしてください』と堂々と言い放ち、実際にその許可を得た上で、9000点弱は取ってしまう。みたいなものだと思うのです(本当に満点・1万点を取れるのは、神様だけです)

これが、枠というものにはまっただけの一般人が、天才に勝てるわけがない理由です。

より具体的に書けば、天才的な作家は、自らの力の一端(の、さらに一端)として小説という体(てい)で、文字を媒介にして執筆、創作しているにすぎないわけです。

作家というよりも、『本物の天才が、小説書いてみたよ』、という程度なのでしょう。

根底から、知識量や思考の深さ(深度)が違う、というわけですね。

ちなみに編集部からすれば、本が売れれば売れるほど(資本主義的に・景気が)良いので、何の不満も出てきません。

純粋な(あるいは平凡な)同業者(作家・小説家)からは、正直かなり、嫌がられるかもしれない考え方でしょうけれど……(だろうな)。

具体的にどうすれば良いのか

全宇宙に触れてください。

(最低限の小説作法についてあらかじめ知っておくのは、無論です。

今から勉強する、でももちろん良いです)

変な宗教や、スピリチュアルへの勧誘では、全くありません。

この世界とは? 宇宙とは?

(人類による都合のいい観点から見た)社会とは?

なんらかの事象や存在の、意義(社会的意義や存在する理由)とは?

そういった観点を真面目に勉強し、一部分だけでも小説に反映させる(実際、全宇宙を1冊の小説に詰め込むのは無理ですし、そもそも、普通の人類にはまだ早すぎる。

私にだって、理解も構築も今のところは、できるわけがありません)。

私は17年ほどの作家志望生活で、ようやくここまでの域に達することができたようです。

あとは、出版するだけですね!(ガガガ文庫編集部さん。今度、小学館ライトノベル大賞に1作だけではありますが、送る予定です。

拙作をよろしくお願いいたします!)

 

ありがとうございました!!

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